デス・オーバチュア
第22話「エナジーバリア(力の障壁)」





赤い部屋。壁も床も家具も全てが赤で完全に統一された部屋。
「おしい、ちょっとだけ外れですね。でも、見当外れではない、寧ろ良い勘をしていますね〜」
イェソド・ジブリールは、目前の炎の中に映る『映像』に話しかけるように呟いた。
ジブリールはソファーにだらしなく寝そべり、左手でワイングラスを弄び、右手で羽団扇を扇いでいる。
彼女の視線の先である虚空には、燃える物など何もないというのに、激しい紅蓮の炎が存在していた。
炎に映っているのは、タナトスとクロス、そしてD。
「神の目線……こうやって、上から全てを眺めるのも楽しいですが、時折、自分も参加してみたくなるもの……気持ちは解りますよ、D。あなたと同じく、喜劇に参加できない仲間外れな身としては……」
ジブリールは血よりも赤く、炎よりも紅い瞳を細めた。



「魔王?……わたくしが……?」
Dは口元に手をあてて上品に笑った。
「それはほんの少しばかり過大評価というもの」
「ほんの少しか……」
タナトスは目の前のゴスロリ少女を凝視する。
(いったい、なんだ、この女は……?)
震えていた。
妹のクロスが、まるで蛇に睨まれた蛙のように怯え、震えている。
十年程共に暮らしてきたが、こんな妹の姿を見るのは初めてだった。
「……魔王というのは、確か魔族で一番強い者のことだったか?」
タナトスは、魔術師であるクロス程魔族や魔界のことに詳しくはない。
子供の頃、ある男からいろいろな雑学を習ったが、あまりに雑多な知識すぎてこういう時はいまいち役に立ちそうになかった。
「いえ、その上に二人居ますし、魔王も四人居ますので、魔界で三番〜六番目に強い者達とでもいったところでしょうか?」
「……では、お前は魔王ではないのだな?」
「はい、ただの上位上級魔族です」
Dは好意的な笑顔を浮かべたまま答える。
その答えに、クロスがビクリと一際激しく反応した。
「だめっ、姉様! 逃げ……」
言葉を最後まで口にするよりも速く、クロスの体は洞窟の天井に叩きつけられる。
何が起きたのか、叩きつけられたクロス自身にすらまるで解らなかった。
「クロス!? 貴……」
タナトスが魂殺鎌を召喚するよりも速く、Dの右手がタナトスの左手を掴む。
「さて、まずどうやって、わたくしがここにやってきたのか説明しましょうか」
Dの左手には小さな小瓶が握られていた。
Dは器用に左手だけで瓶のフタを空けると、中の液体を地面にこぼす。
「正真正銘、ただの水です」
小さな小さな、ほんとに小さな水たまりがDの横に生まれた。
その水たまりの中から勢いよく何かが飛び出す。
「お前は……」
姿を現したのはタナトスの知っている人物だった。
蒼い瞳、蒼いウェーブのかかった長い髪、蒼いフォーマルドレス、凛々しく厳しい表情をした美女。
確か、スレイヴィアの洞窟で戦った相手だ。
「そういえば、あの時は名乗ってすらいなかったかもしれませんね。では、改めてファントム十大天使第四位、慈悲のケセド・ツァドキエルと申します」
ケセドが軽く体を振るうと、無数の水滴が美しく舞い散る。
「……転移?」
「いいえ、厳密には転移とは違います。ケセド様はクリアの『外』のクリスタルレイクから、私の作った水たまりに『渡って』来られたのですわ」
「外からだと……」
クリア国は、転移などによる外からの侵入は完全に弾く結界が張られているはずである。
「どんなに強力な結果でも、水や風といった自然の力まで阻むものではありません。ケセド様の能力は水という純粋なる自然の力そのもの、ゆえに魔や神の力を防ぐための結界は意味を持たぬのです」
「自然の力……」
「そして……」
左手を掴まれていた感覚が消えたと思うと、唐突にDの姿がタナトスの前から消えた。
「……ぐっ!?」
突然の衝撃が、タナトスの体を洞窟の天井に吹き飛ばす。
「ケセド様が水を渡る者なら、わたくしは闇を渡る者。闇、夜、ほんの僅かな影さえあればどこへだろうと一瞬で移動できますわ」
先程までタナトスが立っていた場所に、代わりにDが立っていた。



「私が来た意味がなかったのでは?」
「いいえ、そんなことはありませんよ、ケセド様。だって……」
「はあっ!」
Dの頭上から、タナトスが魂殺鎌を振り下ろしながら落下してくる。
「まだまだこれからですので」
Dは微動だにしない、タナトスはそのまま落下の勢いを載せて全力で大鎌を振り切った。
鈍い音が響く。
「があぁっ!?」
吹き飛ばされたのはタナトスの方だった。
Dは無傷で、元の場所に平然と立ったままである。
「……生身で……魂殺鎌を……弾いた?」
タナトスは魂殺鎌を杖代わりにして立ち上がった。
ダメージはそれ程ではない。
あくまで、『跳ね返された』だけだ。
「いいえ、貴方の刃は私に届いていません。覚えておくとよいでしょう、中位以上の魔族なら、己の身を守る程度のバリア(障壁)ならいつでも展開することができるのです」
「……バリア?」
「有り余るエナジー、闘気や魔力とでもいったモノで作る透明な壁といったところでしょうか? 完全な透明ではないので、良く見れば見えるはずですよ」
タナトスは言われたとおり、Dを凝視する。
確かに、限りなく透明な球体がDを包み込んでいるのが、タナトスの目には『視え』た。
「ならば、その膜ごと断ち切るまでだ!」
「確かに、魂殺鎌の真の力を引き出すことができるのなら、この程度のバリアを切り裂くなど容易いことでしょう。ですが、今の貴方では……」
「はあぁっ!」
タナトスは一瞬でDとの間合いを詰めると、大鎌を振り下ろす。
先程と同じ鈍い音が響いた。
大鎌はDの直前で停止している。
「今度は吹き飛ばなかったようですね。ですが、ただのこの世でもっとも硬い刃物として振り回している限り、私のバリアを切り裂くことは夢のまた夢です」
「ぐっぅ……」
タナトスは大鎌にさらに力を込めるが、透明な膜を貫くことはできなかった。
「やはり、まだまだ早すぎたようですわね……そうそう、それからエナジーは別に防御だけにしか使えないわけではないのですよ……こんな風に」
Dは右手をそっとタナトスに向けて突き出す。
Dは親指で引き絞った人差し指を弾いた。
「があああああああっ!?」
Dの指がタナトスに直接触れたわけではない。
だが、タナトスは凄まじい勢いで洞窟の奥に向かって吹き飛んでいった。
「では、ケセド様、後はお願いいたします。わたくしはこちらの魔術師に少し用がありますので」
「ぅぅっ……」
Dは、何もできずに成り行きを見守ることしかできなかったクロスに視線を向ける。
「いいでしょう。ただし、私は私で、あなたの都合や企みに関係なく好きにやらせてもらいます」
「はい、勿論それで結構です」
「ふん……」
ケセドは、タナトスの消えていった洞窟の奥へと後を追うように消えていった。



「さて、魔術師、確かクロスティーナと言いましたね?」
「うっ……そう、よ……」
クロスは体の震えを完全に消すことはできなかったが、Dをキッと睨み返した。
「開き直りましたか? そうですわね、ビクビクと震えられているだけではわたくしも面白くありませんしね」
「くっ……」
「わたくしを魔王と勘違いしたということは……貴方、魔王を見ましたね?」
「ぐっ! なんでもお見通しってわけだ……」
クロスは開き直ったように笑うと、後方に跳ぶ。
「灼き尽くせ、全てを灰燼に帰すまで! 赤霊灰燼殺(せきれいかいじんさつ)!」
クロスの言葉が響くと同時に、Dの姿が赤い炎に包み込まれた。
クロスは地上に着地する。
「…………」
クロスは勝利の喜びの声を上げることもなく、じっと警戒するように炎を睨みつけていた。
『炎を選んだ判断は正しい……』
「あはは、やっぱり駄目か……」
クロスは乾いた笑い声を上げる。
クロスの頬に汗が流れ落ちた。
パチンという音と共に、炎が消え去り、無傷のDが姿を現す。
「ですが、この程度の炎では、防ぐまでもなく、わたくしの肌を焼くことはできません」
「赤霊系最大呪文をこの程度か……やっぱり、人間が相手にできる存在じゃないわね、上位魔族って……」
タナトスの魂殺鎌を防いだ時のように、エナジーバリア(透明な障壁)とかいうものを作りだして防がれたわけですらない、直撃しようがまったく効かない、髪の毛一本焼くことができないのだ。
「属性的には炎というのは悪くないのですよ、少なくとも光や闇ではわたくしにダメージを与えられないどころか、力を回復させることになりますので……」
「くっ! 来たれ、冬の北風、我が敵を切り裂くために! 緑霊朔風斬(りょくれいさくふうざん)!」
クロスの振り下ろした右手から緑色の風の刃が放たれる。
風の刃は、Dの直前で破裂した。
「心地よいそよ風ですわね。次は雷でも試してみますか?」
Dはクスリと上品に笑う。
「本当は試すまでもなく貴方は解っているはずです、七霊魔術程度は一切効くわけがないと。だからこそ、貴方はわたくしに恐怖していた……違いますか?」
「…………」
図星だった。
本人が否定したとはいえ、今でもこの少女は、魔王と『同じ』レベルの存在にしか思えない。
そんな相手に、七霊魔術など通じるわけがない、それどころか古代魔術ですら効くかどうか疑問だ。
例え効くとしても、古代魔術は馬鹿みたいに詠唱時間がかかる。
クロスが何を考えているのか察したかのように、Dは笑みを深めた。
「宜しい、後三回だけあなたの攻撃を受けてあげましょう。その間、わたくしは反撃は勿論、貴方の呪文を途中で邪魔したりもしません……それなら少しは楽しめませんか?」
「……後悔するわよ」
「いえ、楽しみで仕方ありませんわ。貴方がどの程度の魔術師なのか、わたくしの期待をできれば裏切らないで欲しいですね」
「なら、死ぬほど楽しませてあげるわよ!」
Dが今提案した約束を守るという保証はない。
だが、今はそれを信じるしかなかった。
「……魔界に生きる三種の鬼神……」
クロスは呪文の詠唱を開始する。
「なるほど、鬼の力を借りた呪文ですわね。まあ、鬼自体が下位上級から中位上級までの力ある魔族ではあるのですが……所詮、その力の一端を借りるに過ぎ……」
「修羅王シュラ! 夜叉王クヴェーラ! 羅刹ラーヴァナ!」
「なっ……王の名を?」
「修羅の究極の力! 夜叉の至高の力! 羅刹の終焉の力! 汝らの全てを我に捧げて……刃と化せ!」
クロスの突き出した両手に多種多様な光が集まり、荒れ狂い、クロスの姿を覆い隠した。
「三鬼刃王神(さんきはおうじん)!」
「…………」
Dは無言で右手を突き出す。
解き放たれた光の奔流がDを呑み込んだ。












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